今から63年前の1945年、日本は米国との戦争に敗れ、無条件降伏した。
当時12歳の私が目撃した或るシーンを記してみよう。
正確な場所は覚えていない。東京の何処かの大通り、真っ昼間の出来事だった。米国陸軍の、頑丈で無骨な例の国防色(カーキ色)の軍用トラックの荷台に数人の若い米兵が足を投げ出して乗っており、その中の一人の膝の上に若い日本の女性が抱きかかえられていた。明らかに、当時パンパンと呼ばれていたその種の職業の女性に見えた。それだけなら、別に特に珍しい光景というわけではなかった。しかし、異常だったのはその女のスカートが白昼衆人環視の中でまくり上げられ、若僧の米兵が片手を女性の下着の中に突っ込んでいたことだ。子供心にも見てはならぬものを見た、という羞恥心が先立ち、私の周りにいた大人たちの顔をそっと窺ったが、みんな知らんぷりをしている。
この時、私は戦争に負ける、ということはこういうことなのだ!とはっきり意識したように思う。
2008年4月21日昼頃、私は六本木の国立新美術館にいた。「モディリアーニ展」を覗きに立ち寄ったのだ。僅か36歳で妻と幼子を残して世を去った画家に思いをはせながら、六本木方面の出入り口前のつつじの咲き誇る庭園のベンチで休みながら、久し振りに晴れ上がった青空を見上げたり、写真を撮ったりしていた。
すると、突然ヘリコプターの音がし初め、その内みるみる大きくなって美術館の直ぐ右隣(上掲写真の向かって左側)の簡易な金網の向こうに、全体が黒色のヘリコプターが着陸した。こんな所に、一体何だろう?と訝しく思っている私に、矢張りベンチで休んでいた足が不自由で松葉杖をついた男が『ここにヘリポートがあるんですか?』と問いかけてきた。私が知らない旨告げると、通り掛かった美術館のガードマンに同じ質問を投げかけた。
『あそこは米軍の土地で、よくヘリコプターが離着陸するんです』とこともなげなガードマンの言葉だった。 そこで、私はこの新美術館が防衛庁の跡地に建てられことに気付き、隣接して、最重要同盟国の(といえば、聞こえはよいが…)米国軍隊が自由に振る舞える土地の未だに存在することを理解した。
しかし、その直ぐ隣には、別な外国から借用した沢山のモディリアーニ作品が展示されているのだ。それを、関係者たちは一体どう考えているのだろうか?と大いに疑問が湧いてきた。
米軍のヘリコプターが美術館に墜落したり、不時着することなどあり得ない、と頭から信じ切っているのだろうか?
それなら、沖縄大学のヘリコプター墜落はどうして起こったのですか?と訊いてみたい。
日米地位協定改訂の方向など全く見えないし、日本政府は本気でそんなことをやろうとしているようには見えない。沖縄では女子中学生が暴行され、神奈川県ではタクシー運転手が米海兵による強盗殺人の被害者となり、更に沖縄ではMPが強盗の一味であった、というのは全くやりたい放題、無法状態、と言わずして何と言えようか?
しかし、敗戦以来歴代の政府、そして今の日本政府も日米関係を本気で改訂しようという努力は放棄し、(独立国である筈の日本の)憲法という最も大切な、我々自身が決めた規範を無視してすら、唯々諾々と米国に尻尾を振り続け、米国のご都合による無法、理不尽な戦争に無節操に協力する、という破廉恥な態度は、言われるように日本が米国の植民地である、と断じざるを得まい。
東京ど真ん中で今日も平気で続いて居るこの事態を、強面と称される東京都知事はどう答える心算だろう?
自民党や公明党の権力亡者共は、選挙の行方と権力のおこぼれに与ることに汲々とするのみである。しかし、民主党も元もと自民党とはひとつ穴の狢だから、立場が入れ替われば似たようなものだろう。 だからといって、私は右翼でもなければ、左翼でもない。普通の一日本人である。 今のような日本国を愛するような気にはなかなかなれないが、日本文化の価値は充分認めているし、日本人に生まれたことを率直によかった、と思っている。その意味では国は愛するに足りなくても、日本人そのものは愛している、と言えよう。
とは言え、政治家もさることながら防衛庁の役人(勿論、制服組を含めて)を初めとする官僚共の品位の欠如と無能さは腹立たしいばかりでなく、情けない限りである。
そして、このモディリアーニの絵画に充たされて満足するのは結構なことゝ言えようが、次は六本木アート・トライアルの何処を回りましょうか?ランチはTVで紹介していたあのお店にしましょうか、というような事柄にしか頭の回らない平和呆けの幸せな年金生活者たち、特に団塊世代のオバハン軍団の氾濫も、どうしたものだろう。
いや、日本は実に素晴らしい国だ!ワーキング・プアや非正規社員の話、偽装請負による派遣労働者問題も、自分が住んでいるこの国とは全く関係のない話、と本気で感じているのだろうか? 他人事ではない、と気付いて少しでも心を痛めたりすることもないのだろうか? そんな連中には、いずれしっぺ返しは必ずやって来る。そのとき騒ぎ出しても、もう遅い。
日本人よ己の立場を知れ、 矜恃を持て! 武士の「切腹」は単なる野蛮行為ではない、自らの覚悟のほどを示す決心と行動の表われに他ならない。 今の世の中で一番顕著に欠如してしまった人の心の有り様である。
我々日本人は、今でも米兵によって下着に手を突っ込まれたまま何の抵抗もしない(出来ない)敗戦時の日本女性に象徴される地位を一歩も出ていない、というのは私の暴論だろうか?
翌日、泊まった大手前の宿泊場所からJR東西線の「大阪城北詰」駅の近いことを教えて貰って、ここから宝塚方面へ向かうことにしたが、この電車はよかった。 兎に角、混んでいないのがなかなかよろしい。
<神戸ルミナリエ>→ → → → → → → → →
兵庫県立美術館に巡回して来ていた千葉県佐倉市の川村記念美術館コレクションを観に行こうとしていたのだ。 川村記念美術館は、大学出て直ぐ就職した会社に関連する存在でもあるし、是非観たいと考えていた収蔵品も展示されているようなので…。
入社早々、一緒に仕事していた友人が、この会社の専務を経た後、美術館の館長も務めていた関係もあり、そんな親近感もどこかにあるのだろう。
東西線の「尼ヶ崎」(ここは上記会社の大阪工場があり、若い頃に度々出張した懐かしい場所だ)でJR神戸線に乗り換え、三ノ宮へ出る。 ここから阪神線の鈍行で、ちょっと戻って二つめの岩屋駅にて下車、海の方へダラダラと木製の歩道橋を降りてゆくと、間もなく美術館に到着した。
ここはゆったりとしている、六本木の国立新美術館のようにだだっ広くもないし、ちょうど手頃な感じだ。 ロケーションも悪くないので、是非再訪しようと考えながら再び三ノ宮へ戻った。
本当はこの後まわった元町の南京町や、お気に入りのポール・ボキューズ(Paul Bocuse)(三ノ宮駅前大丸内)のフランスパンや、ジュンク堂でやっと手に取ってみることが出来(和歌山では、こうはゆかない。大手出版社の本でなければ店に置かないので、必ず取り寄せになる。これでは、実際のところ書店での楽しみは半減する)、購入した書籍”梶山季之と月刊うわさ「噂」”についても書きたかったのだが、既に大分長くなったので、またの機会にするが、最後に一つだけ、書き足しておこう。 帰りも尼ヶ崎から東西線で京橋へ出た。
これがなかなかに具合がよろしい。 というのは大阪駅を通らない上、和歌山へ向かう、紀州路快速が京橋駅始発なので座れるし、大阪駅乗車の場合のように、慣れない乗客にとっては実に分かり難く、不便この上ない(乗客サービス全く無視)の腹立たしい思いをしなくて済むからだ。
私も少しだけ大阪の交通機関に詳しくなったようだ。
ここで蛇足を一つ。 京橋をJRの駅としてここまですんなり書いてしまったが、これも東京人からすれば、エッ?地下鉄じゃないの。 ということになろう、日本で最初の地下鉄「銀座線」の「銀座」と「日本橋通り三丁目」との間にある駅が「京橋」である。
「日本橋通り三丁目」は上にも書いたが大学卒業後、直ぐに入社した(上記の川村記念美術館の関連親会社ともいうべき)大日本インキ化学工業の本社があった(当時は木造社屋であったが、現在は立派なビルになっている)所で、横道を隔てて高島屋があり、日本橋大通りを隔てて正面に丸善本店があった。
私が若かりし頃慣れ親しんだ街の一つである。 ただ、漢字では同じ表記の「京橋」でも、こちらはキョー(→)バシ(↓)、(矢印はアクセントの上下を示している)であるのに対し、紀州路快速の始発駅JR線の方はキョー(↑)バシ(→)という違いが、はっきりある。
その辺は私も聞き分けて別な駅として認識している、ということか。(この項終わり)
★ (注: この号は、間に入った号外を跨いでの第17号の続編ということになった、悪しからずご了承のほどを…)
東西線といやぁ、地下鉄、今は東京メトロ(余り感心しないネーミングだが…)なんだよね、それがJRの総武線に乗り入れている、というのが東京人の常識。
今度初めてJRの東西線を大阪で発見した。 大阪不案内、とぼやいたが、今回色々体験してみて少し自分にとって、便利な利用法も掴むことが出来た。
インターネットのマップなどで大まかな場所の感覚は掴めるのだが、実際の距離感覚は解らない。
つまり、歩ける距離なのか?乗り物を利用すべきなのか? もし、そうなら最寄り駅は? 鉄道とすれば、何線なのか?JRなのか?地下鉄なのか?それ以外の私鉄なのか? そして何よりも駅までの距離と利用施設(つまり、今回の具体例で言えば、シアターBRAVAや楽天トラベルで予約した宿泊施設との位置関係、適切な乗物の選択などが簡単なようで、初めての場合は結構面倒なのだ。
何と言っても、地元の人に尋ねるのが一番。 少し、時間は要したが、シアターBRAVAがOBP(大阪ビジネスパーク)内にあることが分かった。 それから京橋駅とOBP、それと宿泊場所の大阪城大手前の位置関係を教えて貰った。
14日は時間があり、自分の足で歩いてこの位置関係を予め把握して置いたので、OBP内のIMP(松下IMPビル)のレストラン街でゆっくり昼食を取り、そこから大手前の宿にチェックインした。 夕刻、気分的にも、時間的にも余裕を持ってシアターBRAVAに着いた。
受付で、品川さんに取って置いて貰ったチケットを無事受け取る。
今日は2回の休憩を含めて4時間という長丁場なので、準備してきたパンとコーヒーで素早く腹ごしらえをする。
開演前からサーカス会場のような雰囲気の賑やかな音楽が流れてくる。 舞台にも登場する楽団がロビーや観客席の通路を周りながら早くも演奏を始めて居るのだ。
開演に先立って、座席の具合を確かめてみると、前の席との間隔が適切ではない。 無論、狭いこともあるのだが、変な段差が前の席に接して存在するので、足をゆったり伸ばすことが出来ない。
1万円を優に超える入場料を取る割には、無神経な感覚が納得出来ない。 いつも思うのだが、関西人、特に大阪人の感覚はよく言えば、大らか、悪く(はっきり)言ってしまえば、かなり鈍い、というのが私の感触である。
つまり、上に述べた理不尽さや、大阪の大方の乗物で経験する不便さ(たとえば、乗り換えに要する非常識な遠さや不便さ)に対して非常に鷹揚であるように、私には見える。 抗議したり、改良させようという強い意欲に欠けているため、呆れ果てるような大阪市や大阪府の不祥事や事件が絶えることなく頻発するのではあるまいか?
大阪に対する批判はこの位で止めて置くが、あと一つだけ言うと、シアターBRAVAの舞台が非常に狭く、このようなスペクタクルな演物には不適切であった、という事実だけを指摘しておこう。
この件は私だけの独断ではなく、この芝居の重要なキャストの一人である品川さんにも確かめたが、さいたま芸術劇場の大ホールとは奥行き一つ取っても大違いであることは間違いない事実のようだ。 矢張り与野本町まで出掛けるべきだったのだ。(次号に続く)
<権力者側が暴力で押さえ込もうとする不当さと不条理に対し抗議する!>
今回は「昭和一桁 残日録」第18号をお届けする予定であったが、上記タイトルのもと下記You Tubeの映像2篇を急遽、号外としてお届けする。(映像は本メルマガに添付できないので、ここを http://blog.mag2.com/m/log/0000233761/ チェックされたい)
沖縄戦の集団自決をめぐり、実質的には文部科学省の主導により高校日本史の教科書から「日本軍が強制した」という記述が削除された問題と、
<集団自決「軍が強制」削除 沖縄で集会開催><ミャンマー軍による、邦人ジャーナリスト射殺シーン> 民主化を妨げるビルマ(ミャンマー)軍事政権を支援し続けてきた日本政府の方針とには、或る種の共通点がある。
無防備のジャーナリストを 躊躇無く殺害した兵士を操る権力の暴挙(戦時中の日本軍指導者の姿そのもの)に目を向け、糾弾の声を挙げる!!
「昭和一桁 残日録」第17号
暫く間が空きました。 矢張り、この夏の暑さの故でしょうかね? いや、でもそれを特別に意識したわけでもないし、影響を受けたというわけでもなく、それなりに時間の掛かることもシコシコやりましたし、東京から2組の来客も続けてあり(更に9月末には、もう1組の来客)、暑さしのぎと運動を兼ねて海水浴もよくしたし、紀南の方まで車を飛ばして従兄の初盆にも出掛けたし、和歌山市民会館のJazzピアニスト小曽根真とギタリスト小沼ようすけ
の演奏会へも出掛けました。(注)メルマガには添付されることなく配布されるようですが、実はこの通信内容中にはYou Tubeの動画(たとえば、小曽根真や本号や次号で触れる映画「エレンディラ」)が含まれておりますので、関心のある方は是非Web上の本通信をチェックしてみて下さい。 http://blog.mag2.com/m/log/0000233761/ )
そこで今回は、付き合いのある男性俳優(TVでも見掛ける名バイプレーヤー)氏宛の私信ではあるものの、私の日記の一部をも構成するので、これを取り上げてみました。
(第1信) 品川 徹さん
さいたま芸術劇場「エレンディラ」の案内有り難うございました。
「エレンディラ」は映画でも観ました。 ガルシア・マルケスには関心があります。 もうちょっと早く知らせて貰えたら、多分出掛けることが出来た、と思います。
というのは、8月25日から28日までの宿泊予約を、例のこまばエミナースに確保してあったのですが、昨日ちょうどキャンセルしたところなのです。 東京へ私自身が出向かなければ用が足りないかも知れない、と考えていた所用が、出て行かなくても済むことになりました。
それで、わざわざこの暑い中を出て行かなくても、もう少し涼しくなってからにしよう、と決断しました、非常に残念です。
(第2信) 品川さん
秘かに自分では、同年代の人より遥に若いつもりで居るのですが…。 元もとせっかちな上、老化現象で更に気が短くなり、(その上、残念ながら)注意力も落ちています。 その証拠に、送って頂いたパンフレットの後ろに小さく大阪公演の案内のあることを見落としておりました。
9月13日に、大阪高裁で「住基ネット訴訟控訴審」の法廷があります。 それなりに執念を燃やしていますので、もちろん出廷の予定です。 それで、14日(金)初日のチケットが手に入れば、都合がいいなと思います。 たった1枚なのですが、品川さんにお願いできますか?
大阪−和歌山間は電車で1時間強なのですが、運行間隔と運行時刻からいうと、行ったり来たりするより大阪に泊まった方が効率的と考えています。 それで13日大阪宿泊の予約をしましたが、14日は初日で18:30開演とあります。 4時間の上演時間を考え、おまけに初日であることを考慮すると、終演予定時刻22:30は、もっと遅れるかも知れませんね。
だとすれば、品川さんと声を交わす時間のないことはもちろん、西九条駅22:54の最終電車に乗るのは(小生の大阪不案内状態からして)かなり、と言うか、殆ど無理というのが、実態でしょう。
そういう意味では、私にとって駒場−与野本町の方がよっぽど気楽で、心配がないのです。
というようなメールやり取りの後、「エレンディラ」の大阪公演シアターBRAVAへ出掛けることになった。
結局この晩も大阪に泊まったので、芝居がはねた後、大阪ビジネスパーク内のビルの一角にあるカフェテラスで品川さんとビールを飲みながら話しすることが出来た。
ただ、彼は翌日昼夜2公演を控えていた上、梅田の宿泊場所まで戻らねばならなかったので、余りゆっくり時間を取ることは出来なかった。 矢張り、東京の方がゆっくり出来るとお互いに改めて確認し合い、次回東京でゆっくり話しすることにした。
(次号に続く)


