「韓国通信 第6号 2007年6月24日」

 沖縄の教訓と米次官補の北朝鮮訪問 沖縄では穴を方言でガマと言うらしい。チビチリガマやシムクガマという言葉を聞いたことはあるが、ほかにもガマはだいぶあるだろう。

ところでこのガマに様々な思いがあるようだ。沖縄住民にとってこのガマは昔から農作業を終わって、そこに集まり休憩をするだけではなく、宴会を開くなど共同生活の場としても利用されたと伝えられている。

しかし、戦争末期、このガマで住民が集団自決をしたという頼りに接すると、何だか哀れな物語を聞いているようで、胸がちくちく痛む。

当時自分の命を捨てた人は勿論、生きていた人にとっても生きることの悲哀がどのようなものであったか実感せずにはいられなかったのではないか。「慰霊の日」を迎え、当時家族を亡くし、戦争が残した悔恨の思いで涙ぐむ住民がいるだろうと思うと、悲惨な感じさえするのだ。

それなのに、「日本軍に強いられた」という文章を削らせた文部科学省の意図は一体どこにあるだろうか。「軍の強制を否定する資料が出てきた」という口実を立てているらしいが、いつもそのような決まりのパタンなので、とても信用できない。

例えば下嶋哲朗『沖縄・チビチリガマの集団自決』(「岩波ブックレットNO.246」岩波書店、1992)には当時日本軍の実態を明らかにした次のような文章がある。

戦争も終盤に近い1945年4月1日のことです。(略)日本軍はアメリカ軍の上陸を、事前に察知していたにもかかわらずその直前、読谷村に配置した部隊を、南部方面へ引き揚げてしまいました。これは「敵を海岸線で迎え撃つと味方の損害が大きい。内陸部へおびき寄せ、沖縄県民をまき込み総力をあげて消耗戦を行なう。それによって、敵の日本本土への上陸を1日でも遅らせる」日本軍の作戦でした。

 日本軍に置き去りにされた読谷村住民は、絶望しながら多数死にました。しかし、それはほんの一部分にすぎません。日本軍に組み込まれた沖縄に民衆は、南部の戦いでその数が今なお確認不能なほど多数死にました。沖縄戦は、軍隊は軍隊自身を守るためにあり、民衆を守るためではない、という軍隊の論理をあからさまに照明して見せたのです。

これは「日本軍に強いられた」確実な根拠ではないか。このように戦争は恐ろしいものであるのだ。

日本の近代作家小林多喜二はその戦争の恐怖が民衆にどのような影響を及ぼすか、その内実がはっきり分る作家であっただろう。多喜二はその戦争と国家権力に反対し激烈に闘争したため、高等警察に捕まえ、拷問で殺害された。

最近多喜二を読んでいるが、彼が戦争に反対したからと言って、ただそれだけを持って彼を評価するわけではない。多喜二はだれより貧困な人々に対する理解と暖かい配慮の心を抱いていた作家であったと思う。

例えば、多喜二は『党生活者』に自分の生活全てを犠牲にし闘争した地下生活者の犠牲も、労働者農民が毎日生活しながら払っている犠牲に比べると、大したものではないというようなことを述べている。そして、それは20年間農民で苦労してきた父母の生活からすぐ分る。だから自分の犠牲も何百万人の巨大な犠牲を解放するための不可欠な犠牲だと付け加えている。

しかし、あいにくこれは結局多喜二自分のことになってしまう。彼は予めそれを『党生活者』に断って、その「不可欠な犠牲」を実践していくわけだが ここに多喜二の死の意味と今日に蘇る作家精神が共存すると思われる。

戦争と天皇制国家権力に激しく抵抗し逝去した革命戦士多喜二の闘争の根源には、そのような父母への愛、労働者農民や疎外された人々への人間味溢れる配慮と同情があった。その点を想起すると、青年時代に生を終えた彼の死が惜しくて堪らない。

多喜二時代の戦争と沖縄集団自決時代の戦争は勿論その内実が違う。しかし、戦争が如何に人間性を抹殺し、全てを犠牲にさせるか改めて強調しなくても理解できるだろう。

戦争に国家権力と軍の介入を切り離して考えることはできない。だから多喜二もそれと闘い続けていたのではないか。「日本軍に強いられた」沖縄住民の過去。現代にも悲劇は続いている。それを否定し、歴史を歪曲しようとする非道徳的右翼によって。

 この沖縄の教訓は決して日本だけのものではなかろう。韓国戦争では韓国軍と北朝鮮軍に分かれ、イデオロギーの問題で自分の家族まで殺害する悲劇さえあった。一般民衆は米ソ帝国主義に強いられ、軍に強いられ、全く拠り所のない悲惨な運命を生きていたのである。

その戦争から半世紀が経っている。しかし、不幸にも今でも南北分断は続き、民衆は戦争の危険から完全に逃れていない状態である。時代は変わったとはいえども、アメリカは今でもやはり南北、日本に実力を行使する強圧的存在である。

ただ最近アメリカは北朝鮮が核を持つことによって、北朝鮮を相手として強く意識し始めていると思う。実証されてはいないが、北朝鮮の核弾頭ミサイルはアメリカの大陸まで届くかという疑問も言論に出ているのではないか。

アメリカが北朝鮮に対し、強硬政策だけで押し通せない理由の一つにはそのような北朝鮮の無謀さを意識しての判断もあるだろう。

そのアメリカのヒール国務部次官補が北朝鮮のキム・キェグァン外務省副相の招聘で北朝鮮を訪れた。BDA問題が一段落した後だから、色々な問題について虚心坦懐に論議することができただろう。

ソウルでの記者会見でヒールは、「北朝鮮は寧辺(ヨンビョン)にある原子炉を直ちに閉鎖する意思があることを明らかにした」と伝えた。6カ国会談再開、6カ国会談参加国の外相会談の開催にお互いに協力するという論議の結果も発表された。

これで北米関係は大きく前進する可能性がある。北米関係の進展は東アジアでの平和、南北関係、日朝関係の回復を意味する。拉致問題の先決を訴えてきた日本の態度に乱れが見られるだろうと予測したいのも、その事実と密接に関係がある。

今年の3月キム・キェグァン外務省副相のアメリカ訪問の時、北米は北朝鮮が核施設を凍結すると、アメリカ及び日本と関係正常化の会談を開始し、ヒールを北朝鮮に招聘することに合意したのであり、その合意がBDA資金問題の解決によって今回実現したと言える。

しかし、このような雰囲気に茶々を入れるようなことが日本で起こっている。 麻生太郎外相はアメリカの国務長官ライスと電話をした後、日本は北朝鮮と国交協商をする用意があることをヒールを通じて北朝鮮に伝えてくれることを要請したというものの、総連の施設を差し押さえ、売却しようと企図している。それだけではなく、総連の幹部らを調査するなど総連自体を抹殺しようとする行為が行なわれている様子を見ると、言動の不一致も甚だしい。

はたして日本政府は北朝鮮と国交樹立の意向があるのだろうか。広告を出し、決議案に影響力を行使し、無理に美しい国造りに励もうとはせず、国際情勢を把握し、それに素早く対応する姿勢を見せてはどうだろう。せっかくの成果を活かすためにも総連抹殺政策を中止するべきである。

今回何より北朝鮮が2・13合意を移行する意思を明らかにしたことに賛辞を送りたい。韓国政府はお米の支援日程の発表を予告したし、中国の外交部長も北朝鮮を訪問するそうだ。

ヒールは今回ホテルではなく、「GUEST HOUSE」で宿泊したようだ。「GUEST HOUS E」といえば、金大中元大統領とアメリカの元オルブライト国務長官が泊まったようなところである。何年前ジェームス・ケリー米国務部次官補が北朝鮮を訪れ、高麗ホテルに泊まったことを想起すると、非常に歓待をうけたことは間違いないらしい。

しかし、まだ油断は禁物だろう。アメリカブッシュ政府が北朝鮮政策を利用しているかのような懸念を完全に解消してくれたという証拠はどこにもない。そして、北朝鮮も核問題論議の過程において、また都合によっては東海岸にミサイルを発射するなど武力で抗議する可能性がなくもない。

今でもアメリカ政府には北朝鮮への強攻策を主張するネオコン勢力が残っている。しかし、今回の会談だけを見て、性急に判断する必要はないだろうが、とはいえ、成果への評価を躊躇する必要もないだろう。

6カ国会談は再開するに間違いない。そして、外相会談は勿論、もしかすれば首脳会談が開かれる余地もある。はたしてこれから東アジアでどのようなことが起るだろうか。はたして平和が定着し、アジア共同体は実現するだろうか。

韓国は雨期のせいか鬱陶しい天気が続いている。

日本はどうか。

皆さん幸せにお過ごしください。    

   発行者 金 正 勲 http://kjh.rakurakuhp.net/