「韓国通信 第9号 2007年7月7日」

韓国民主主義の後退

韓国には「私立学校法」(私学法)というのがある。どこの国にも私学を運営するための規定のようなものはあるだろうが、韓国ではこれをめぐって私学財団や保守勢力対市民団体や民主勢力という構図の中で改正を繰り返してきた。

学校の主体は学校法人であると主張する設立者側と、学校は設立されるとそのときから教育機関なので、教員、学生、父兄も学校の主体になると認識する教員側は対立する様子を見せてきた。

独裁政権から民主政権に変わってもう十年。学校にも民主化の風は吹き始め、私学法も民主的な雰囲気の中に定着するだろうと思った。しかし、学校を運営する既得権勢力(法人、財団、保守派)は粘り強く、私学法改正に反対し続け、他の法案は国会で活発に論議され、民主的に改正されているにも、私学法だけは与党と野党の合意で国会に上程されることはなかった。

これがいよいよ、2005年12月今の与党ウリ党によって改正されたとき、一般市民は勿論、教員、父兄、学校労働者は喜びの声で嘆声をもらした。学校にも民主化が到来したと信じたからであろう。その改正案の骨子は次のようなものであった。

1 理事長親族の学校長任命を禁止する

1 理事長の他学校理事長及び学校長への兼職を禁止する

1 学校長任期は4年にし、一回に限って重任は可能

1 学校には学校運営委員会を置き、その運営委員会から2倍数で推薦した理事の中      で財団は理事(開放理事)を任命する

1 開放理事の数は理事定数の4分の1にする

「理事長親族の学校長任命を禁止する」というのは、非常に民主的な発想である。父は理事長で、息子は大学長の場合が多く、いつもそこに権力は集中していた。親族の権力者同士が学校を運営することによって、教員の教権は侵害されるだけではなく、色々な腐敗と学校問題はそこから生じたからである。

「理事長の他学校理事長及び学校長への兼職を禁止する」という条項も画期的な提案である。韓国では昔から学校の運営者は放漫な経営で資本を独占し、何の資格もないのに学校長として赴任し、その権力で教授や教師に言いなりになるよう強要する場合が多かった。理事長同士が結託し、他大学にまで影響を及ぼすこともよくあることであったが、それができなくなったからである。

また理事長の知り合いが学長や学校長になっても、任期を制限することによって、権力の延長を防止し、財団を牽制するシステムを構築した。それに財団から勝手に理事を任命し、理事長の命令で学校運営をする独裁的方法ではなく、公開的に学校運営委員会からの推薦で「開放理事」を選定し、彼らを学校運営に参加させる考えも不正を無くし、学校構成員の参与を保障するという点から見て、適切なやり方であった。

しかし、2005年12月今の与党ウリ党によって改正されたその案を、野党ハンナラ党は一方的に通過させたと言って反発した。私学経営者と深い関わりを持つ保守言論(朝鮮日報、中央日報、東亜日報)もそれに加わり、再改正を訴える報道を連続的に掲載した。それに乗った私学法人団体や宗教勢力は改正に賛成した国会議員の落選運動を開くと、与党と民主勢力に脅威しながら大々的な悪宣伝を繰り返してきた。

彼らが執拗に改正案に反対し続けた理由は、独占資本と既得権を維持するためであった。特に私学財団は私学法を再改正させるため、ハンナラ党に賄賂を使って議員らを買収しているという噂も広がっていたので、如何に権力を守るため、あらゆる手段を動員したか言うまでもない。憲法裁判所までその改正案を持ち込み、それが違憲であると取り消しを訴願する様子を見て、多くの人々はたして改正案が無事に実行されるだろうかと懸念せずにはいられなかった。

ところが、韓国では先日7月3日、取り返すことのできない不幸なことが起ってしまった。現与党ウリ党と野党ハンナラ党の政略的結託によって、 私学法再改正案が国会本会議を通過したのである。年末の大統領選挙を控えている与党としては国会の正常的運営、民生を第一にする政策を口実に野党と結託してしまったのである。

進歩的な教員団体の得票率より教会や宗教団体の得票率により期待を寄せた結果という分析も出ている。しかし、これで韓国の大学の民主主義は後退するだろう。

理事長は他大学の理事長や学長を兼職することが可能になったし、学長任期の制限もなくなった。もはや理事長は息子を学長に任命することも、親族を学長に任命することもできる。全ての法案は改正前の状態に復帰してしまい、ハンナラ党の提案が反映され、弱化した開放理事制だけがその骨子を維持することになる。

この事実をどう受け入れればいいのか。大学民主主義のため闘争してきた全ての構成員に対して今の政治権力は共犯罪を犯したのではないか。教育の公共性はその意味を喪失した。

実は韓国の私学は、殆ど国家支援をもらっている。そして学生の学費で学校を運営する学校も少なくない。そうすると、学校構成員が学校運営に参加するのは当然ではないか。財団では私的財産権の侵害と見ているのだが、それを口実に学校構成委員を学校運営から排除する。しかも、それを独占的権力と信じて、人事権を濫用するのみならず、カリキュラムを利用し、教権を侵害する例もあちこち見えるので、納得できない。

私学法の再改正案で私学の不正と腐敗は深化し、財団親族による大学経営も強化されていくに違いない。また学校運営に対する牽制と監視の機能は麻痺され、独裁権力が教員の権利と自由を強奪することもありうる。

昔から腐敗した私学は軍部独裁勢力と縁を結んできた。そして今、軍部独裁勢力の残党ハンナラ党の支援を受け、民主主義を蹂躙しながら堂々と闊歩している。当然私学は学校運営費を流用するなど、色々な非道徳的やり方でハンナラ党に政治資金を援助してきたはずだ。私学と保守党との密約、そしてその腐敗的結託の根拠はそこにある。

かつて軍部クーデターで政権を握った朴正熙の娘(朴槿惠)が大統領候補としてハンナラ党で活躍しているが、彼女も以前嶺南大学の理事長であった。今彼女は以前嶺南大学理事長時代の不正問題で言論から色々注目されている。それほどハンナラ党と私学との結託は根深いものである。

従って、彼女は私学法改正と大学改革をもっとも恐れ、私学と協力し学校民主化に反旗を翻し続けたに違いない。彼女が私学財団と手を結んで、如何に民主的な私学法改正案に反対してきたか韓国民衆ならだれでも知っていることである。

しかし、今回大統領選挙と民生懸案に迫られているとはいえ、学校民主化をスローガンに改革路線を追求し、私学法を改正したその主体勢力ウリ党が守旧勢力と一つになって、私学法再改正案を受け入れてしまった。どうしてこれを嘆かずにいられるだろう。

ある教育団体の任員は「7月3日は韓国の教育史上、もっとも恥辱的な日」と述べている。韓国私学の民主主義は死亡したと宣言しても過言ではなかろう。

全ての学校構成員は民主主義を取り戻すため闘争を繰り広げなければならないと思う。また新たな出発点に立ち、私学権力に立ち向かって激しい抵抗と闘争を始めなければならないと思う。

『坊っちゃん』の「おれ」は「御世辞は嫌いだ」と思い、学校権力と腐敗の象徴人物、赤シャツに正義一本で立ち向かった。自分の地位を利用し、学校権力を左右しようとするのは勿論、言いなりにならない英語教師うらなりを本人の意思を聞かず他所の学校に転勤させてしまうなど悪行の限りを尽くす赤シャツに鉄槌を下さずにはいられなかった。

人間は権力と金力に惰弱な存在である。うらなりとの婚約にも拘わらず赤シャツに言い寄られ、屈従してしまうマドンナをはじめ、狸と赤シャツに翻弄される多くの人物はは権力と金力に無能力な人間として描かれている。しかし、「おれ」や「山嵐」はそれを克服し、卑劣な俗物の世界を赤裸々に暴き出し、自ら正義を実践するので、読者は共感しているはずである。「おれ」の鉄槌を下す場面から痛快さを覚えない読者はいないだろう。

『坊っちゃん』は、今多くの韓国の人々に読まれている。最近『坊っちゃん』が違う訳者によって何回も新たに出版されている事実からもそのことは証明されている。しかし、その「おれ」のように自らそのたたかいを実践できる人はどのくらいいるのだろう。

今韓国の民衆は、韓国私学民主化を取り戻すため、新たなたたかいを展開しなければならない時点に立っている。

はたして「おれ」のような、勇気を持った多数の正義漢によって私学民主主義は回復されるだろうか。これから韓国の学校はどうなるだろうか。日本の皆さん、どうか見守ってください。

昨日日本からほしい本が一冊届いた。

時々感謝の気持ちも表現しないで、それを忘れて過ごしてしまう日がある。

この機会を通じ、心からお礼申し上げます。     

   発行者 金 正 勲 http://kjh.rakurakuhp.net/