「韓国通信 第11号 2007年8月19日」
中国旅行記 学会や学生引率の用事で、旅行に立つ場合が多い私にとって、家族連れの旅行は久し振りである。講義室で学生に「日常居住地から離れ、他の地域にいき、巡回的に探訪し、また日常居住地に戻るのだ。それは生の活力になる要素だ」と何回も教訓的に吹聴したことがあるが、自分の場合になってみると、やはり初めての北京訪問に胸騒ぎがする。
「TOUR」という語意にはコンパスで円を描くように一回りをするという意味も含まれているという。色々なところを見回って、自分の凸凹を無くし、円のように完璧な自己成長を成し遂げる。しかし、朝5時に起き、光州から高速リムジンで4時間を走り、仁川国際空港に着き、ガイドから北京旅行について説明を聞く私にそれは他人のことであるごとく思われた。
いつも思う通り、仁川国際空港は広い。今年は特に海外旅行がブームというニュースも聞こえているだけに、空港の中が人波で一杯である。関西国際空港のエレベーターに乗ってその中が透明に見え驚いたことがあるが、仁川国際空港のエレベーターもそれによく似ているものである。そのような形が流行だろうか。
初めて乗る中国の飛行機。中国国際航空(CA)は思ったより快適であった。よく冷房がきき、ブランケットを掛けないと寒さを感じるぐらいである。韓国人スチュワーデスも二人乗っていて、何の不自由を感じない。席の通路側から聞こえてくる中国人二人の流暢な中国語にはじめてこの飛行機が北京に向かう事実に気がついた。
空は明るい。所々曇りはあるが、気持ちのためか空は透き通って見える。人口13億の巨大な国。56の民族がそれぞれの歴史と文化を持って生活をする国、中国は日本とともにもっと近い韓国の隣国である。昔から三国はありとあらゆる面から交流を進めてきた。しかし、その歴史はいつも坦々とするものではなかった。新羅、百済、高句麗時代から朝鮮王朝時代まで三国は絶えず、和合と葛藤の道を歩んできたのである。
清が倒れ、中華民国が建てられたのは1911年である。いわゆる辛亥革命だが、この時国家財政のため鉄道を国有化しようとする清朝の政府に抗議する国有化反対運動が、四川省で起り、それは孫文の反乱を引き起こす。いよいよ14省が清朝から完全な独立を宣言するに至るのだが、孫文はその翌年中華民国を建立し、臨時大統領になる。
中国のガイドブックと旅行説明書などを読んでいる途中、飛行機は北京首都国際空港に到着した。
外は小雨が降っていた。だいぶ変わったといえ、長期間共産主義を生活の理念として受け入れてきた「中国の人民はあまり笑わない」とどこかで聞いたことがある。空港の通路に立っている、少し硬く見える事務員の表情からさすがここは中国だという実感がわく。
息子と娘の好奇心を誘発させるような大きな空港専用バスに乗って移動し、入国手続きを済ませると、朝鮮族観光ガイドが我々を待っていた。彼女の名前は李花と言った。輝く目を持ったハルピン出身の20代後半の女性である。日帝時代、独立運動が盛んで民族意識が定着した地域ハルピン育ちの彼女は、強いプライドを持っていた。「中国では朝鮮族の女性が非常に人気です。賢く生活力もあって、結婚相手としても好まれています。差別など一切ありません」という言葉に私は在日女性のことを思い出し、それに哀れみを覚えた。
大通りに出ると、2008年オリンピックを目前に控えている国らしく活気溢れる風景が目に付く。子供教育のことを思い、北京を旅行地として選んだ家内も目新しい景色に見とれている。自転車と車が交差する横断歩道、高いビル、中国式看板、「公安」と書いてあるタクシーなど窓側から見える北京は、異国人の脳裏に自由と開放のイメージを十分刻みこんでいるらしかった。
5〜6年前オーストラリアシドニーを訪れたことがある。その時私はシドニー大学で2週間泊まりながら、市内の書店を巡りまわり、英訳の漱石作品を貪るほど買い求めた。シドニー大学の図書館で司書に下手な英語で聞きながら夜遅くまで、漱石関連資料を探し、オーストラリアにおける漱石でも読破するかのように励んだ記憶がある。その資料に基づいて論文を書こうと思いながらも、何も書かず日を過ごしてきたのだが、初めて訪問する他所へ行けば、かならずそのような好奇心が発動するのを自覚する。バスの窓際から遠くに北京の書店が映ると、そのオーストラリアでのことが思い出されてならない。
バスは最初あの有名な「王府井」に停まった。「王府井」は、北京最大の繁華街である。1.5キロの歩行者専用道路の両側に大型デパート、ショッピングセンター、記念品店、ホテル、レストラン、書店などがずらりと並んでいる。通りの露店カフェーには夜景を楽しみながらビールを飲もうとする観光客や若い人々で一杯である。元々王族が集まって生活するところだったので、「王府」と呼ばれてきたという。明代には商業中心地として注目されたが、井戸があり、清代に「王府井」という地名が定着したそうだ。
「王府井」での楽しみは何と言っても、様々な食べ物を売る屋台だと言われる。海星から蝗まで生物なら何でも料理として登場される、中国の飲食文化の象徴地と看做されているからだ。中国には「飛行機と机の脚を除いてすべて食べる」という言葉があるらしい。言ってみれば料理天国。巨大な土から多彩な料理が生産される。そして地方ごとに特色料理があり、その種類は数え切れない。北京は宮廷料理が有名だと聞いたが、どのようなものか味わって見たくなった。
中国は、孫文からバトンを受ける蔣介石の国民党と1921年結成される共産党との内戦で社会的混乱が続いた。1931年日中戦争で力を合わせるが、戦争が終わると、また内戦は再開され、共産党が勝利を収め、1949年中華人民共和国の政府が樹立されるのである。
中国は共産党政府が誕生する以前、色々な宗教儀礼が行われ、先祖に対する祭祀も盛んだそうだ。旧暦のお正月や端午の時には家族が集まり、家族和合を祈り、先祖を崇拝する伝統を重視したようだ。そのような伝統が今にも多くの人々に受け継がれているに違いない。地域ごとに家族ごとに色々な食べ物を作り、隣の人と一緒に食べながら豊年を祈願したのである。
共産党政府は社会主義的改造に着手し、1966年からは「文化大革命」を実施し、資本主義経済体制を取り入れる。しかし、数千年の歴史から成立した飲食文化。それこそ中国人の生活にもっとも長く、もっとも深く根を下ろしている誇りの遺産かもしれない。
食堂で鴨焼きを食べてからホテルに到着すると、午後9時半。ホテルは思ったよりきれい。人質の問題や大統領候補の動きなどに対する情報が知りたくてテレビを付けても分らない中国語ばかりが聞こえてくる。メール確認もできなければ、毎日覗くサイトにも入ることができず、アナログ時代に戻ったような気もする。その後慰安婦決議案に対する日本の反応はどうだろう。日本の良心的な知識人はそれにどうコメントするだろう。
ホテルで日本語が通じないのに驚きながら風呂に入った。出発する前、北京なら十分日本語が通じるだろうと思ったのはミスだった。英語もあまり通じない。私より英語が下手なホテル従業員を見て失笑したぐらいである。旅行はやはりカルチャーショックに出会うことだ。三四郎が汽車の女に出会う場面を想起しながらその夜を過ごした。
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日本も酷暑が続いているようだ。
皆さん、暑さにくれぐれもお気をつけてください。
発行者 金 正 勲 http://kjh.rakurakuhp.net/