「韓国通信 第13号 2007年9月24日」
蘇る多喜二の闘争精神小林多喜二を思えば、しきりに韓国の5・18民衆抗争が思い出されてならない。もちろん多喜二時代と5・18時代は、時空の視点から見ても、背景的な視点から見てもだいぶ掛け離れているといえる。しかし、1928年3月15日天皇制絶対権力と戦争反対にたたかって特高に検挙される多喜二らの姿に、自由・民主・正義を取り戻すため軍部独裁政権に抗議し、結局逮捕される光州民衆の姿が重畳される。
国家権力との闘争。それは民衆から見れば当然必然的に犠牲を覚悟してたたかわなければならないものである。韓国でも1980年5月、国家権力を掌握した軍部クーデター勢力は民主勢力を抑圧し、空輸部隊を光州に投入し、光州市民に対して無差別な暴挙を行なった。それに多くの市民が現場で銃殺されたのはもちろん、検挙され恐ろしい拷問で虐殺されたのである。
「死亡者154人、行方不明者70人、負傷者(負傷以後の死亡者を含む)3、208人、そして連行者・拘禁者1、628人など合わせ5、060人の人命被害が発生した」<『5・18民衆抗争』(5・18記念財団、2005年)>という統計から見ても、その軍事作戦に如何に民衆が言葉では形容できない苦痛を払ったか言うまでもない。1928年3月15日日本の特高警察によって逮捕された1、600人余の日本民衆の苦痛はそれと通じるものがあるだろう。
特高警察による多喜二らへの拷問は、5・18民衆抗争の時のその軍部勢力による酷い拷問を連想させる。また光州市民の人権と自由を踏み躙ったその軍部勢力の武力鎮圧は、治安維持法という口実で多喜二らを弾圧した帝国主義勢力と特高警察の無法な虐待を想起させる。
多くの民主運動の闘士は連行され、暴力に苦しまれ、気絶した人もいれば、その拷問で身体障害者になった人もいる。しかし、そのような非人道的、非人倫的行為にも自分らの意思を諦めず、多喜二時代の無産階級、そしてそこに所属した労働者・農民や組合員らがたたかった闘争を、光州市民は一つになって軍部権力に向かって展開したのである。
そのようなたたかいの姿を多喜二は、『一九二八年三月十五日』にまざまざと描いている。選挙で戦争と天皇制への反対勢力が多数であることを確認した帝国政府は、労働者・農民の闘争と反戦平和運動で民主主義を実現しようとする社会主義勢力を徹底的に抹殺する必要があった。それゆえ1928年3月15日労農党員とその支持者、そして、プロレタリア運動に関与していた組合員らを多く拘束し、その運動自体を粉砕しようとしたのである。
多喜二は、『一九二八年三月十五日』で竜吉と彼の同僚の生活を通じて、プロレタリア運動の精神と哀歓を同時に描いている。家族と運動の挟間で葛藤しながらも気丈に闘争を繰り広げていく人間としての苦悩がよく描写されているのもそれと無関係ではないだろう。家庭と家族を持った人間が如何にその拷問にたたかっていくか、多喜二は巡査に引き摺られる父竜吉の姿を娘幸子の目を通しても描くことによって、プロレタリア精神の高揚を強調すると同時に、その哀歓を克服しようとする人間の苦痛を表現しているのだ。
父が立ち上った。幸子は火事の夜のように、歯をカタカタいわせていた。皆外へ出た。母の青い顔がその時動いた。唇も何か云うように動いたようだった。
が、言葉が出なかった。出たかも知れないが、幸子には聞えなかった。母の、身体を支えている柱の手先に、力が入っているのが分った。――父は一寸帽子をかぶり直し、母の顔を見た。それから、チョッキのボタンの一つかかっていたのを外し、それを又かけ直した。落付きなく又母の顔を見た。
革命闘士としての堂々たる様子と、家庭と家族を持った家長としての苦しみ。それが警察に逮捕され、引っ張られていく父の姿をこっそりと見守る娘の視点を通じて読者に哀れな雰囲気を醸し出している。しかし、同僚や組合のことへの執着、運動の必然性が描かれないことはない。「母親なんて案外大きな俺たちの敵なのだ」という佐多の叫び声も、そのような悩みを乗り越え、真のプロレタリア精神を獲得しようとする人間の絶叫のようなものであっただろう。
多喜二は、そのような葛藤の姿を念頭におきながら苦難を克服していく革命闘士の不屈の意志を描いたに違いない。それゆえ、多喜二は一歩進んで、確信に満ちた態度で始終プロレタリア革命闘士としての気概を少しも失わなわない渡のような人物を描いておくことを忘れていなかった。巡査の拷問に「殺せ」と叫ぶ彼の抵抗は多喜二自身の抵抗であったはずだ。
多喜二は 「…半植民地的な拷問が、如何に残忍極まるものであるか、その事細かな一つ一つを私は煮えくりかえる憎意をもって知ることが出来た。私はその時何かの顕示をうけたように、一つの義務を感じた。この事こそ書かなければならない。書いて、彼奴等の前にたゝきつけ、あらゆる大衆を憤激にかり立てなければならないと思った」と述べている。
いわば多喜二は、そのような「義務」を感じ、徹底的な執筆に取り掛かったに違いない。そして、日本が軍国主義の旗をあげ、朝鮮を侵略した時代に自ら人間の自由と反戦平和の運動を身をもって実行し、それを文学の世界に生々しく反映する実践的作家になった。
彼の闘争精神に恐れを感じた特高警察に逮捕され、結局残忍きわまる拷問で殺害されたが、彼ほど安逸な現実と妥協せず正義を持ち、自分の感情に充実に生を生きた作家はいないだろう。多喜二の闘争精神は、今日彼が残した作品だけではなく、「時代を撃て・多喜二」という映画などを通しても蘇り、人間の自由と人権、そして民主主義の本質が何であるかを考えさせる刺激になっている。多喜二が韓国に本格的に受容される日もそれほど遠くないだろう。
伊豆利彦「『日々通信』第266号 2007年9月21日」には私についての紹介が載っている。
高齢にも活発な先生のご活動に敬愛の念を持つ。<9・11>で世界は揺れ動き、また新たな戦争が始まった。爆弾攻撃によって無辜の市民が殺害され、また戦争に動員された攻撃軍も自殺爆弾テロによって死んでいった。しかし、今も戦争は続いている。
<9・11>について言いたいことはあるが、急いでいる仕事もあり、次の機会に譲ることにした。 『韓国通信』の発行もだいぶ遅れている。しかし、12号しか出していないといえ、これでいいと思う。
最初から定期的に出すつもりもなかったし、いつまで出さなければならないという規定などはいやで、考えたいことを時間に拘束されず自由に書けばよい。
従って時には書きたいと思いながら書き忘れることもあれば、時間が伸びることもある。
論文のような論調もあれば、私的な感想や心境を披瀝する場合もあるだろう。
しかし、何か義務感に燃え上がると、書かずにいられなくなるのは事実である。
日本からは福田康夫氏が自民党の新総裁になっているし、南北首脳会談も予定されていて、東アジアは変革の時代を迎えそうだ。
韓国は今がお盆で(秋夕)、あちこち韓服(チマ・チョゴリ)を着た女性の姿が目に付く。
日本の皆さん、健康が何よりですので、くれぐれもお体に気をつけて頑張ってください。
発行者 金 正 勲 http://kjh.rakurakuhp.net/