「韓国通信 第20号 2008年5月10日」
生存権問題で動揺する韓・中 アメリカ牛肉輸入問題で韓国社会が揺れ動いている。政府は国民に談話を発表しアメリカ牛肉の安全性を強調しているが、国民の間にはインターネットなどを通じて、「狂牛病怪談」が広まりつつある。数万人の市民がキャンドルデモに参加し、一方では李明博大統領に対する弾劾署名運動まで展開しているので、深刻な状況が続いているわけだ。
CBS世論調査機関の発表(5月9日)によると、李大統領支持率は25.4%、そしてハンナラ党支持率は26.3%(統合民主党25.2%)。新政府が登場して3ヶ月も経っていないのに、これほど支持率が下がったのは韓国歴史上初めてのことである。
何より支持率下落の原因にはそのアメリカ牛肉輸入問題がある。多くの市民は民生のため保守政党に心を傾けたが、新政権は国民主権を守らず、狂牛病に露出されたアメリカ産牛肉を国内に全面的に開放することに決めてしまったからである。それで新政府の屈辱的協商に国民はうっぷんを爆発しているのだ。
南北問題はどうか。北朝鮮は8日朝鮮中央通信を通じ、「李明博政府と南側の軍部が軍事的緊張を高めている」と述べ、「軍事的緊張が激化すると衝突が起こり、それはまた第3の西海交戦、第2の6·25戦争(韓国戦争)に広がる」というような無謀な主張をしたという。どうして繁栄を追求していた南北関係がこれほど悪化してしまったのだろう。その一次的な責任は李政府にあるに違いない。
実はアメリカ牛肉の国内輸入は今回が初めてはない。市場開放以来、アメリカ牛肉に狂牛病菌と骨の切れなどが見つかり、輸入中断と再開を繰り返してきた。しかし、先月にアメリカを訪問した李大統領は輸入条件を改正し協商を妥結したのである。それなら国民の主権を考えるような、より合理的な協商をしてほしかった。いったい誰のための政府なのか。どうして国民にアメリカとの協商内容をそのまま伝えないのか。
生後30ヶ月過ぎの牛から生産された牛肉も、国内に入るという。しかも、韓国人は昔から牛の角と足指を除いては大体食べてきたが、韓国政府はアメリカ牛のほとんどの部位を国内に輸入することにアメリカと合意したそうだ。狂牛病の危険性に国民が被害を受ける可能性は高まっている。ヨーロッパや日本ではその点を念頭におき、アメリカ牛肉の年齢と部位を制限しているのに、全面的な開放をアメリカに約束した李政府の本音が読めない。
さらに、李政府とハンナラ党は、アメリカ牛肉の輸入反対を叫ぶ平和的示威を、ひたすら反米や反李の意図として受け入れる立場を表明しているので、とてもらちが明かない。健康と主権を守護するため、声高く叫ぶ市民のスローガンと民心がどのようなものであるかを、李政府ははやく把握するべきである。
なぜ多くの中学生や高校生さえ手にキャンドルを持って、広場に集まってくるか、支持率が下がっている理由は何なのか、深く診断する必要があるのだ。
人間の生存権と尊厳性ほど重要なものはない。権力の中心にいる人は、まず国民に国家のための責任を果たすことを強要する以前に、常に国民の心を読むことに励むべきではないか。
漱石の言葉を思い起こせば、権力者には「事実出来ない事を恰も国家の為にする如くに装ふ」(「私の個人主義」)処世術があるように見える。ところで、実は自分の権力や政治的目的のため、国民に「国家」を強調する場合があるので問題だ。人間の多様性に重点をおかず、すべてを画一化しようとする理念から独善と抑圧の政治が生まれると思う。
漱石は「豆腐屋が豆腐を売ってあるくのは、決して国家の為に売って歩くのではない、根本的の主意は自分の衣食の料を得る為である」(「個人主義」)と述べた。国民は決して国家のために生活を営むのではなく、個人の生存と繁栄のために日々を暮していると言った方が適切かもしれない。その意味から見て、今回のアメリカ牛肉輸入問題は国民の生存権と直結した問題と言ってよかろう。
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チベット問題も、生存権をめぐってのたたかいであると思う。最初わたしはこの問題をチベットの立場に偏って眺めていた。チベットの僧侶らと市民を鎮圧する中国軍の暴力、そしてチベット人犠牲者の血だらけの姿に同情の視線を送らないではいられなかったからだ。
とはいえ、中国に編入され半世紀以上も経って、中国の自治区になっているチベットの独立を支持する視点を持っていたわけではない。チベットの指導者ダライ・ラマ自身がだれよりチベットの状況をよく把握しているだろう。が、彼は決して独立を求めているのではなく、その意見を尊重する立場に立ちたかったのである。
なおチベットの場合は朝鮮(植民地時代)とはまったく異なる歴史と背景を持っているといえよう。チベットは中国の少数民族に属する。いわば中国は多くの少数民族で構成されていて、中国政府から見れば今更チベットを独立させるようなことは考えられないだろう。むしろそのようになった場合、その余波は中国全域に広まり、中国の存立を脅かすことになるかもしれない。
中国はそのことをもっとも恐れていると思う。それで予めその可能性を遮断するため、武力鎮圧で抑えようとしたに違いない。単一民族の国家ではない中国で各少数民族がすべて独立を目指すことになればどうなるか。現実的な妥協案が必要な理由はここにあるだろう。
それに色々な情報を通じて、チベット問題はそれほど簡単ではないということを実感した。アメリカの政治的意図、アメリカとダライ・ラマとの関係など、より厳密に検討しなければならない要素がだいぶあったからである。たとえば次のようなことが気になった。
第1、ダライ・ラマはチベット亡命政府の指導者で、対話の重要性を説破するなど問題解決に臨んでいるのだが、その指導力に限界が見られる点だ。その原因は対話を通じて「高度の自治」を追求してきたダライ・ラマの非暴力路線をチベット青年らが支持しないところにある。チベットの青年らは完全な独立だけを望んでいる。
第2、最近中国政府はダライ・ラマと対話をしようとするようだが、今まではダライ・ラマを信用していなかった点だ。中国は、ダライ・ラマが非暴力路線を堅持しながらも、他方チベットでの暴動を操っていると見ていた。それで対話の糸口が見つからず、中国とチベット亡命政府はお互いに非難を繰り返してきたのだ。
第3、アメリカがダライ・ラマに名誉学博士学位を授与することやブッシュ大統領の特使がダライ・ラマに会っている事実の背後には、思ったより深い政治的意味がある可能性だ。それは中国に対するアメリカとチベット亡命政府との同盟戦略的関係を思わせるところがあるように見られる。
第4、チベットの中国支配の時点が問い直されなければならない点だ。その時点は中国革命からだと見る意見がある反面、元・清、あるいは「Lamaism」の時代と看做し、その歴史は長いと見る見方がある。中国は政治と宗教が一致した昔のチベットの封建社会を立て直し、近代化に拍車を掛けチベットを発展させたという論理があるのはそのような背景に起因するだろう。
だから、チベット問題を独立=善、その他=悪のような二分法に区分することに疑問を抱かざるをえない。それに明らかになってはいないが、国際情報機関の関与説などを念頭におくと、決して問題は単純ではないらしい。
しかし、中国の少数民族に対する差別的政策や、今度の武力鎮圧が決して容認されるものではなかろう。それはヨーロッパにオリンピック開幕式不参の世論を喚起しているだけではなく、各国のマスコミも取り上げ厳しく批判している。そのうえ、ここで再び言及したくはないが、今度のチベット問題がこれほど波紋を呼び起こした原因は、中国の過剰鎮圧にあったことを否定することができないだろう。
そして、聖火リレーのとき、組織的に動員された中国人留学生らによる過度のナショナリズムと過激な暴力行為に、世界の人々は憂慮にたえない視線で見ていたことを指摘しておきたい。
中国とチベットのことをより緻密に考察するべきだが、知っている範囲内で私見を述べてみた。 5月8日、オリンピック聖火はエベレスト山の頂上に上がったという。中国は来月、オリンピック聖火のチベット到着の時期にあわせ、外国人観光客にチベットを開放するらしいが、どうなるだろう。
紛糾には対話に勝るものはないだろう。中国当局とダライ・ラマ側の対話で、一日もはやくチベットの問題が平和的に解決されることを期待する。
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ゴールデンウィークに江華島に行ってきた。韓国の5大島(済州島、巨済島、珍島、南海島、江華島)の一つである江華。一時期は高麗の都でもあったが、昔から首都ソウルを守備する関門と言われ、韓国の開国とともに苦難の歴史を一緒にしてきたところである。
「江華島条約」という歴史的事件もある。日本には「江華島事件」として知られているが、ウィキペディアには次のように書いてある。
江華島事件(こうかとうじけん、カンファドじけん)は、1875年(明治8年)9月20日に朝鮮の江華島付近において日本と朝鮮の間で起こった武力衝突事件である。日本側の軍艦の名を取って雲揚号事件とも呼ばれる。
日朝修好条規締結の契機となった。「日朝修好条規」は高宗(1876年)のとき、朝鮮と日本帝国が締結した条約。この条約で日本が侵略の足場を築いたことを想起しながら「江華歴史館」を見学した。
最近漱石『門』の時代的背景を考えている。『門』に憂鬱な空気が漂っている理由は何か。漱石の内面的問題について触れたことがあるが、1909年〜1911年の社会的状況を念頭におくと、新たな問題が見えてくる。
5月だから、いろいろなことが思い出される。しかし、何一つはっきり目に見えるものはない。私の現在は「無」なのか。
日本の皆さん、よろしくお願いいたします。
発行者 金正勲 http://kjh.rakurakuhp.net/