ああも言ったり、こうも言ったり
もとの方が良かったのに・・・
私が子供の頃、近所に繁盛していた八百屋さんがありました。
おかみさんはすらりと背が高く、くっきりはっきりした美人顔。
その上、「さぁ、らっしゃい」と、声も大きく、愛想もいい。
いっぽう旦那さんはと言えば、細面の優男。声も優しく、小さ
い。でもやっぱり愛想がいい。いつも新鮮な野菜がいっぱいお
いてあって、お客さんの絶えることのない、賑やかな八百屋さ
んでした。
それなのにどうしたことか、突然閉めてしまいました。ーなぜ?
どうして?あんなに売れてたのにーと、不思議に思っていたら、
いつの間にか、その威勢のいいおかみさんが、道路をはさんで我
が家の斜め前にあった、バーのママさんになっていました。八百
屋のおかみさんの時とは、うって変わって、髪を高く結い上げ、
着物を粋に着こなし、別人のような濃い化粧をして、もうずっと
以前からママさんだったという貫禄で、そのバーから出てくるの
を見た時は、心底びっくりしました。
この八百屋さんご夫婦は、別れてしまったのですが、おかみさ
んは、バーの経営者の奥さんに、バーの経営者の元奥さんは、八
百屋の旦那さんといっしょになってしまいました。八百屋の旦那
さんは、元バーの経営者の奥さんといっしょに、焼き鳥屋を始め
たのでしたが、どうも八百屋の時のようにはいかなかったようで
す。行った人の話によると「何だか汚くしててさ、見る影もなかっ
たよ」と言うことでした。
一方、バーのママさんになったおかみさんの方は、あっと言う
間の見事な変貌ぶり。すっぴんで、勇ましく客寄せしていたのが
信じられないくらいでした。時々、若いホステスさんを従えて、
店から出てくるおかみさんは、もう私のことなど、見向きもしま
せん。ー女ノ人ッテ、相手次第デ、コウモカワッテシマウンダー
と、子供心に、会得したのでありました。
小学校の時、地区活動のため、近所の子供達で一年に何回か集
まって活動をしなければなりませんでした。近所に仲のいい友達
がいたわけでもないし、縦のつながりもほとんどなかったので、
みんな嫌々、仕方なくやっているという感じでした。
何かの行事をする予定の日、雨が降ってしまったので、班長さ
んの家で過ごすことになったことがあります。地区活動は班長さ
んの親もお手伝いをしなくてはならなかったのです。あまり、広
もなく綺麗でもなく、やや暗い居間のふすまが取外してあって、
長テーブルがいくつか並べられていて、そこにあまり見栄えのし
ないお菓子がおかれていました。子供達はどうやって時間をつぶ
したらいいのか思案顔。何しろ、普段はほとんど口をきいたこと
もないメンバーですから。一人、班長のお母さんが、白けきった
みんなの雰囲気を盛り上げようと、ゲームをしたりクイズをした
りと必死になっていました。地味で目立たない、色の黒い、決し
て美人ではない、おとなしそうなおばさんでしたが、子供の私か
ら見てもーオバサン、ヒトリデ頑張ッテテエライナーと思わせる
奮闘ぶりでした。そして、その白けた集まりも何とか終わり、子
供もおばさんも、ほっとして解散したのでした。
その地区活動の一年後ぐらいだったでしょうか。突然、そのお
ばさんが、街から姿を消してしまいました。街の噂では、若い男
と駆け落ちしてしまったらしい、ということでした。ーエッ、ウ
ソデショウ?マサカ、ダッテ全クノオバサンジャン。アリエナイ
ヨーと、思ったのですが、どうもその噂は、本当らしかったので
す。数ヶ月後、今度は飲み屋の下働きを、汚い格好してやってた
のを見たという噂が流れました。そして二度とそのおばさんの姿
をみかけることはなかったのです。
ーアアッ、オバサン失敗シチャッタナァ〜駆ケ落チハ無理ダヨ、
ドウ考エテモーと、胸が痛みました。盛り上がらない地区活動を
躍起になって盛り上げようとしてくれたおばさんに好意を抱いて
いたからです。ようく考えみるとそのおばさんの年齢は、四十代
そこそこ。今の私よりずっと若い。まだまだ、いろいろなドラマ
があっておかしくない年齢だったのです。ですが、私は今でもこ
う思っています。
ーオバサンハ、キット帰ッテキタカッタンダ。デモ帰レナクナッ
チャッタンダ。モトノ方ガ良カッタノニーと。
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